雲祥寺旅行記

「津軽」と歩く津軽の旅(by 重兵衛さん)

雲祥寺
 司馬遼太郎の「街道をゆく 北のまほろば」に感化されて,太宰のパロディー(?)エッセイ「津軽」を読み,無性に津軽に行きたいと思っていたところ,2006年7月上旬に,ちょうど青森で会議があったので,1泊して津軽半島を旅することにしました。
 前哨戦として,青森市内の居酒屋「リンゴ茶屋」へ。ここは店員さんが津軽三味線の演奏をしたり,弾き方を教えてくれたりする。
ここで三味線の荒々しい音色をきいて,津軽への思いをさらに強くする。


1日目(7月8日)

 朝一番に青森を出発。梅雨のさなかということもあって,観光客はほとんどいない。
 津軽半島の東海岸沿いの松前街道を一路北上し蟹田へ。ここは太宰が,友人Nを訪ね,一緒に酒を飲んだところ。「津軽」は配給制度が始まっているにもかかわらず,よく酒を飲むシーンが出てくるので痛快(?)だ。
 ここの観覧山公園には,N君が太宰のために建てた記念碑があった。
よくある顕彰碑のように,生前の業績が格調高く書いているのではなく,ただ一言,
  「彼は人を喜ばせるのが何よりも好きであった。」
とだけある。
 太宰の「だ」の字もないこの質朴な碑こそ,若くして逝った友に対する万感の思いを秘めたのだろうと思うと,ぐっと来るものがあった。
 ところで,国道沿いを走ってきたためか,名物のカニを出す店が見あたらない。産直を覗いてみると,毛ガニがあっただけに残念である。

 松前街道をさらに北上し,竜飛岬の手前の三厩へ。
 ここは源義経が平泉で生き延びて,北行する際に,馬を3匹つないだとか,北海道に渡る際に船がなかったところ,龍神が龍馬を使わして,無事に渡ったなど,太宰が言うところの「故郷の恥ずかしい伝説」を持つところである。。
 小山の上には,龍馬山・義経寺というそのまんまの名前を持つ寺。本堂には笹竜胆の紋という,これもそのまんま。ここでは,「義経せんべい」というストレートな名前の南部せんべいを購入。

 松前街道をさらにさらに北上して竜飛に到着。
 太宰が「鶏小屋のような」と失礼な感想を述べた集落だが,そこに太宰の碑がある。「本州の袋小路」と名付けたとおり,道はここの漁港で終わりでここから先は北海道まで海だ。
 この集落から,岬の上までは,国道339号線が通っているのだが,この国道,全国的にも珍しい,「階段」である。
 これを上ってしまうと,その後で車を取りに来なければならないので,車で登ると,展望台と灯台。
 また,石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑があり,ボタンを押すと,大音量で流れる仕組み。おかげで,観光客が次々押して,「上野発の夜行列車降りたときから~♪」と石川さゆりがエンドレスで歌っていました。これは,太宰のときには無かった音風景だろう。
 また,竜飛岬と言えば,青函トンネルの本州側入口ということで,トンネル博物館があったので見学。岩盤の柔らかさや漏水など,苦難の数々は,まさにプロジェクトXの世界。トンネルじん肺訴訟を手伝っているのですが,こういう博物館を見ると,書面の上の事柄に実感がもてます。

 竜飛岬から,今度は日本海側の海岸道路を南下して,太宰の「津軽」のクライマックスともいうべきシーンのある小泊へ。
 記念館の庭には太宰とタケの像があります。
 ここには司馬遼太郎も立ち寄り,色紙を残していました。 

 小泊からさらに南下し,十三湊へ。ここは別に太宰の「津軽」とは関係ないが,お目当ては「しじみ」です。
 食堂の一つに入り,シジミラーメンとしじみ汁をいただく。滋養たっぷりのエキスに,肝臓も腎臓も癒される気がします。
 シジミだけで帰るのももったいないので,中世の城館跡などを見物し,安東氏の栄華を想像する。司馬遼太郎は,ここが室町後期,かなり栄えていた港だったが,南部氏が貿易に無理解だったため,灰燼に帰してしまったとの評価だが,安東に苦しめられた側からすれば,そういうことを考える暇もなく破壊し尽くしたのか,商人たちの協力を取り付けられなかったため,信長のように焼き尽くしたのかは不明である。

 いわずと知れた,縄文後期・晩期の大規模遺跡。今や行方知れずとなった国宝・遮光器土偶の発掘地である。
 とはいっても,発掘跡は若干公園化されたのみで,三内丸山のような復元などはなく,当時のことなど想像するのも困難だが,近くにある発掘資料館が,近所の公民館のような体裁だが,重文級の土器・石器が無造作に展示してあるのには驚きました。

 この時点で,夕方4時を回ってしまい,金木町の太宰生家に行くのは無理と判断。適当に日本海側の温泉にでも泊まることにして,さらに日本海岸沿いを行く。鰺ヶ沢,千畳敷を経て,深浦まで来るころにはかなり日が落ちてきました。
 梅雨なのに,西の空は晴れているということで,せっかくなので,不老不死温泉に行き,日帰り入浴。
 ここの温泉は満員だったので,深浦の宿にも当たったのだが,ここも満員。仕方がないので,「旅窓」で五所川原のビジネスホテルを探し当て,深浦で寿司を食べ,五所川原まで戻ったときは,10時近かった。

2日目(7月9日)


 思いもかけず,五所川原に泊まったので,せっかくだから朝早く起きて,司馬遼太郎も訪れたという日本最古のリンゴの木を見に行く。
 リンゴの木の通常の寿命は数十年だというのに,植えられたのが,明治の一桁の年というから,樹齢140年以上でしょうか。枝振りも堂々として,実もつけていて,この木を丹精こめて育てた方の苦労と,自然の持つ力に驚かされます。
 その後,立佞武多の館へ。これは,五所川原の勇壮なお祭りが復活し,それを1年中見ることができる資料館。写真にも撮ったけど,その大きさを実感することができないので,興味のある人は実際に行ってみてください。

 五所川原から1駅(といっても5キロはある)の木造駅がすごいということで,行ってきました。
 駅舎一面の土偶は圧巻です。立ちねぷたといい,このあたりの人たちは,でかいものが好きなのかな。
 その後,縄文資料館「カルコ」へ。ここには司馬遼太郎も感動した遮光器土偶がある。思ったより小振りだが,その存在感は十分でした。ところで,ここの2体の縄文ロボットについては,司馬さんはスルーだったのだが,どんな反応だったのだろう。ちょい気持ち悪いのですが。

 木造から岩木川沿いに北上し,途中,広大な津軽平野や一本タモなどを見たりしながら,太宰が生まれた金木町に入る。
 斜陽館に行く前に,まずは芦野公園へ。ここは日本の桜百選にも入っているが,季節は夏なので,あまり関係ない。むしろ,「津軽三味線発祥の地」の碑とか,吉幾三の碑とか,太宰治の碑とかの方がお目当てだったりする。
 また,この公園には,熊が飼われているのもビックリだ。
 そしてメインの太宰の生家・斜陽館。現在の資料館になる前は宿屋として使っていたというくらい,広い。太宰の父は,戦前の国会議員となるほど,資産家だとはきいていたが,商家でもないのにこの大きさはすごいです。小作の子供は同じクラスでも,口もきけなかったとは,「街道をゆく」に出ていた話です。こういうところで育ったからこそ,(初期)社会主義に惹かれていくのでしょうか。
 このほかにも,高橋克彦の『天を衝く』でラストを飾る,九戸の乱の戦没者を祀る雲祥寺,津軽三味線資料館など,見所満載の街でした。

 この後,青森市内の棟方志功記念館,碇ヶ関,小坂の廣楽館などを見て,帰途につきました。

【旅行時期】2006/07/08~2006/07/09
【エリア】津軽半島
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】重兵衛

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